岡村靖幸逮捕で考える

岡村靖幸覚醒剤所持(および使用)で逮捕されたそうだ
覚醒剤の所持や使用は法律で禁じられている事だし、その資金が暴力団(とか北朝鮮)なんかに流れたりするなどの問題もある。また場合によっては、使用による幻覚のために他者に危害を加えるようなケースもある。決して許される行為ではないし、靖幸ちゃんはこれを厳粛に受け止め、刑期を全うしていただきたい。
という大前提を踏まえた上で、「アーティスト」と「私生活」についてちょっと考えてみたい。
アーティストが作り出す「作品」と、そのアーティストの「私生活」っていうのは、本来ならば切り離して考えるのが筋というものだろう。例えば、私生活では家庭を犠牲にするような傲慢な男が、見事な陶芸作品を作り出す(海原雄山←いきなり架空の人物かよ!)なんていうケースもあるだろう。で、「ドラッグ」についても、それは当てはまるのか、と。
音楽の場合は、特にその歌詞にメッセージ性が込められている場合が多いんで、話は複雑になる。例えば、今回のケースで言えば、歌詞の中にドラッグの使用を薦めるような言葉が入っていたりした場合は、社会的影響から考えて「NG」なんていうのも理解できなくはない。でもそれって、「クスリをやってる人がつくったもの」じゃなくても同様なわけで。暴力的な人が作ったわけじゃくても「暴力ゲーム」が有害図書指定されるのと同じだよね。また、歌詞には入ってないけど、アレンジやメロディーにドラッグの影響が出ることもままあって、ある程度詳しい人なら「あー、この曲はラリって作ったんだろうなー」なんていうのがわかったりする事もあるんだけど、これは知識と技術だけでも同じようなものを作ることも出来るし、わからない人には関係ない話。ビートルズの中期なんかはかなりドラッグ入ってる感じなんだけど、彼らの場合も、歌詞は問題になったけど曲やアレンジは問題にならなかったよね。

話を音楽じゃなくてもっと大きく「作品」全般で考えてみると、さらに話はわけわかんなくなったりする。たとえば、異常性癖(犯罪に繋がるようなもの)を持った人が描いた絵画があったりして、それは評価していいものなのかどうか?一般的には高い芸術性を持った絵画ではあるんだけど、ごく一部の、同じような性癖を持った人が見た場合にはその性癖を刺激するようなものであった場合はどうなのか?また、その作者が絵を描くことによって自らの性癖を昇華していた場合と、その後に性犯罪を犯した場合では彼の作品の評価は変わるのか?変わるべきなのか?また、その性癖とは関係なく描かれたものについてはどうか?などなどなど。

まあ、結局結論は出ないんだけど。

あと思ったのは、覚醒剤を使うのって、いわば「精神へのドーピング」になるわけで、それってやっぱりちょっとずるいような気がする。