楽器の表現

なにげなくつけたテレビで、フジ子・ヘミングの特集をやっていた。1998年かなんかに放送したものの再編集再放送らしい。すでに一通りブームは収束した感じの彼女なんだけど、話題になっている頃には、「ふーん。そういう人もいるのね。」ぐらいにしか思わず、あまり気に留めていなかった。が、今回、ちゃんと見て(聴いて)みて、そのすごさに感動してしまった。
オレはほとんどクラシックは聴かないし、もともとロック畑の人間としては、クラシックに対して「堅苦しい」「自由じゃない」っていうイメージを持っていた。実際、オレたちが普段当たり前のようにやっている「この辺、もっとパワーが欲しいから、オクターブ下で弾いちゃおう」とか、「ここ、もうひと回し増やそう」とか、「8小節アドリブでソロ入れて」っていうのが、クラシックだとできないわけで、それってプレイヤーのキャラクターが出せないんじゃないの?って思っていた。でも、彼女のプレイを聴くと、自分の単純な「ロック最強論」が恥ずかしくなってしまう。
もちろん、彼女は「ピアノ」という、他に類を見ないほど幅広い音域を持った楽器を1人で操っているが故の自由というのがある訳だが、それって、「操れる腕」があるからこそなんだよね。

この話、もう少し引っ張りたいので、続きは後日。